三句三図・其の二
3作目「三句三図・露の間の三景」にて、絵三幅より一人の詠み手を当つる謎を仕立て申してより、早ひと月。再びこの形式にて、今一度別なる詠み手を訪ぬる旅へお導き申さん。
絵は四つに区切られてござる。初めの一幅には題のみ。扇を手にせし人影が、ただ黒う立つてござる。
残る三幅は、いづれも江戸の市井の景。銘酒の樽に菖蒲の花、呉服屋の奥にて青き反物を広ぐる男、夜半の褥に腕を掻く男と、蚊遣りの煙に浮かぶ斬り合ひの影。
御題
【作問修行】三句三図・其の二
芭蕉が「定家の卿なり」と激賞した、江戸の天才俳諧師は誰か。
酒樽に菖蒲、呉服を裁つ音、夢かと思えば蚤の跡。
身近な景色を粋に、ことごとしく詠み上げた男の名を当ててみよ。
絵に詠まれし三句、仰々しき調べ
三幅の絵、其々に一句あり。
| 絵 | 詠まれし句 |
|---|---|
| 酒樽と菖蒲 | 今朝たんと 飲めや菖の 富田酒 |
| 呉服を裁つ | 越後屋に 衣さく音や 更衣 |
| 夢と蚤の跡 | 切られたる 夢は誠か 蚤のあと |
三句に共通するは、市井の景を「仰々しく」詠み上ぐる調べ。 師の翁、この弟子を評して曰く ──「定家の卿なり」と。
答えを見る
答へは 榎本其角(宝井其角とも)。
解き筋
三句、いづれも其角の代表作にござる。
| 絵 | 句 | 詠まれし景 |
|---|---|---|
| 酒樽と菖蒲 | 今朝たんと 飲めや菖の 富田酒 | 端午の朝、菖蒲酒を酌み交はす江戸の景 |
| 呉服を裁つ | 越後屋に 衣さく音や 更衣 | 衣替への日、越後屋の店先に響く裁ち鋏の音 |
| 夢と蚤の跡 | 切られたる 夢は誠か 蚤のあと | 夜半に目覚め、蚤の喰ひ跡を見つけし長屋の景 |
身近きを、仰々しく粋に詠み上ぐる ── これぞ其角の真骨頂にござる。
「定家の卿」の評
師たる芭蕉翁、其角の句風を評して「定家の卿なり」と申されたり。藤原定家 ── 平安の末より鎌倉初頭にかけ、新古今和歌集を編みし大歌人。江戸の市井に身を置きながら、定家の如く言葉を緻密に磨き上ぐる ── 其角は芭蕉門下にありて、独特の位置を占め申した。
「三句三図」シリーズの企て
この形式は3作目「三句三図・露の間の三景」より始まり、本作が二本目にござる。
詠み手を辿るに、道は一つにあらず。時代の流れに沿うて、はた江戸の地を巡って ── 「三句三図」の形式そのものを、これより折々に温めて参る所存にござる。
★ 解いた御仁への、二つの土産話
一. 其角は、師の「さび」から離れた弟子にござる
其角は蕉門十哲の筆頭。翁も「草庵に梅桜あり、門人に其角嵐雪あり」と書き遺してござる。されど其の句風は、翁の説く「わび・さび」とは別の道 ── 派手にして平明、口語の調べを取り込んだ「洒落風」にござつた。其角と、其の流れを継ぐ門人らが後に結んだ宗匠の組合が「江戸座」。江戸俳諧の一派は、この弟子より出てござる。
★翁の俳諧を締むる一語が「さび」ならば、この弟子のそれは「洒落」。師と弟子は、同じ俳諧を二つの道に分けて歩み申した。
二. 「衣さく音」は、越後屋でしか鳴らぬ音にござつた
越後屋は延宝元年(一六七三)、伊勢松坂の三井高利が江戸に開いた呉服店。今の三越にござる。従前の呉服屋は得意先へ品を担ぎ参る屋敷売りに、盆と暮の掛売りが常であつた。高利はこれを廃し、店前にて現金・正札の売り、しかも客の求むる丈だけ反物を裂いて売る切り売りを始め申した。
★すなはち「衣さく音」は、越後屋の新しき商ひそのものの音。よその店では鳴り申さぬ。しかも更衣の候は、呉服屋の店先が年で最も賑はふ時。★其角は、江戸で最も新しい音を、季語の上に載せてござつた。
別解のこと
受ける ── 「宝井其角」「榎本其角」「きかく」。榎本は母方の姓、宝井は後に自ら改めし姓にて、いづれも同じ一人にござる。
惜しい ── 服部嵐雪・向井去来・内藤丈草など、蕉門の他の高弟を挙げらるる筋。「翁の弟子」までは正しく辿り着いてござる。残るは、三句の調べがいづれの弟子のものかの一点。
受けぬ ── 松尾芭蕉。口上が「芭蕉が激賞した」と申してをるゆゑ、翁ご本人は師の側、答への外にござる。
端午、衣替、夜半の蚤 ── いづれも江戸の人々の日常そのもの。この詠み手はその一瞬を、鎌倉の歌人の如き言葉の細工にて、永遠の景に仕立て申した。市井のうちに雅を見出す、これぞ其の俳眼にござる。
次なる謎、また改めて。
3作目「三句三図・露の間の三景」で、絵三幅から一人の詠み手を当てる謎を仕立ててから、はやひと月。もう一度この形式で、別の詠み手を訪ねる旅へお連れします。
絵は四つに区切られています。はじめの一幅には題だけ。扇を手にした人影が、ただ黒く立っています。
残る三幅は、どれも江戸の市井の景色。銘酒の樽に菖蒲の花、呉服屋の奥で青い反物を広げる男、夜半の床で腕を掻く男と、蚊遣りの煙に浮かぶ斬り合いの影。
御題
【作問修行】三句三図・其の二
芭蕉が「定家の卿なり」と激賞した、江戸の天才俳諧師は誰か。
酒樽に菖蒲、呉服を裁つ音、夢かと思えば蚤の跡。
身近な景色を粋に、ことごとしく詠み上げた男の名を当ててみよ。
絵に詠まれた三句、仰々しい調べ
三幅の絵には、それぞれ一句が隠れています。
| 絵 | 詠まれた句 |
|---|---|
| 酒樽と菖蒲 | 今朝たんと 飲めや菖の 富田酒 |
| 呉服を裁つ | 越後屋に 衣さく音や 更衣 |
| 夢と蚤の跡 | 切られたる 夢は誠か 蚤のあと |
三句に共通するのは、市井の景色を「仰々しく」詠み上げる調べ。 師である翁は、この弟子を評してこう言いました ──「定家の卿なり」と。
答えを見る
答えは 榎本其角(宝井其角とも)です。
解き筋
三句はどれも其角の代表作です。
| 絵 | 句 | 詠まれた景色 |
|---|---|---|
| 酒樽と菖蒲 | 今朝たんと 飲めや菖の 富田酒 | 端午の朝、菖蒲酒を酌み交わす江戸の景色 |
| 呉服を裁つ | 越後屋に 衣さく音や 更衣 | 衣替えの日、越後屋の店先に響く裁ち鋏の音 |
| 夢と蚤の跡 | 切られたる 夢は誠か 蚤のあと | 夜半に目覚め、蚤の喰い跡を見つけた長屋の景色 |
身近なものを、仰々しく粋に詠み上げる ── これが其角の真骨頂です。
「定家の卿」の評
師である芭蕉翁は、其角の句風を評して「定家の卿なり」と言いました。藤原定家 ── 平安の末から鎌倉初頭にかけて、新古今和歌集を編んだ大歌人です。江戸の市井に身を置きながら、定家のように言葉を緻密に磨き上げる ── 其角は芭蕉門下にあって、独特の位置を占めていました。
「三句三図」シリーズの企て
この形式は3作目「三句三図・露の間の三景」から始まり、本作が二本目です。
詠み手を辿る道は、一つではありません。時代の流れに沿って、あるいは江戸の地を巡って ── 「三句三図」の形式そのものを、これから折々に温めていくつもりです。
★ 解いた方への、二つの土産話
一. 其角は、師の「さび」から離れた弟子でした
其角は蕉門十哲の筆頭です。翁も「草庵に梅桜あり、門人に其角嵐雪あり」と書き遺しています。けれどもその句風は、翁の説く「わび・さび」とは別の道 ── 派手で平明、口語の調べを取り込んだ「洒落風」でした。其角と、その流れを継ぐ門人たちが後に結んだ宗匠の組合が「江戸座」。江戸俳諧の一派は、この弟子から出ています。
★翁の俳諧を締めくくる一語が「さび」なら、この弟子のそれは「洒落」。師と弟子は、同じ俳諧を二つの道に分けて歩んだのです。
二. 「衣さく音」は、越後屋でしか鳴らない音でした
越後屋は延宝元年(一六七三)、伊勢松坂の三井高利が江戸に開いた呉服店。今の三越です。それまでの呉服屋は、得意先へ品を担いで行く屋敷売りに、盆と暮の掛売りが常でした。高利はこれをやめ、店先での現金・正札の売り、しかも客が求める分だけ反物を裂いて売る切り売りを始めます。
★つまり「衣さく音」は、越後屋の新しい商いそのものの音でした。よその店では鳴りません。しかも更衣の頃は、呉服屋の店先が一年で最も賑わう時。★其角は、江戸で最も新しい音を、季語の上に載せていたのです。
別解のこと
受ける ── 「宝井其角」「榎本其角」「きかく」。榎本は母方の姓、宝井は後に自ら改めた姓で、どれも同じ一人です。
惜しい ── 服部嵐雪・向井去来・内藤丈草など、蕉門の他の高弟を挙げる筋。「翁の弟子」までは正しく辿り着けています。残るは、三句の調べがどの弟子のものかという一点。
受けない ── 松尾芭蕉。口上が「芭蕉が激賞した」と言っている以上、翁ご本人は師の側、答えの外にあります。
端午、衣替え、夜半の蚤 ── どれも江戸の人々の日常そのものです。この詠み手はその一瞬を、鎌倉の歌人のような言葉の細工で、永遠の景色に仕立てました。市井のうちに雅を見出す、これがその俳眼です。
次の謎は、また改めて。