三句三図・露の間の三景
三つの図が掲げてござる。
逆巻く川、苔むす巌、水辺の花。一つきりならば、いづれもただの景色にござる。
されど三つ、揃へて並べてござる。三つで一つの何かを指してをるゆゑにござらう。
御題
【作問修行】三句三図
我、奥羽へ旅せしほど、皐月の空の下にて行合ひし景色なり。
逆巻く大河も、静寂の岩も、水辺を飛ぶ鳥も、旅の半ばに目にせし露の間の輝きなり。
さるほどに、菅笠ひとつにて巡り、これらを句に遺しし旅人は誰か、分かるや。
絵を今いちど ── 三図に込めし景
絵を今いちど。三つの図、それぞれにこめし景なり。
- 其の一・荒波の図 ── 五月雨に膨れあがりし大河、小舟ひとつ呑まれんとす。
- 其の二・岩と蝉の図 ── 杉木立の奥、苔むす巌に蝉ひとつ。あたりは森閑として声もなし。
- 其の三・菖蒲の図 ── 水辺に咲き乱るる花あやめ、空には初夏の鳥の影。
いづれも、ある旅人が句に遺せし露の間の景にて候。
答えを見る
答へは 松尾芭蕉(紀行『おくのほそ道』の旅)にござる。
| 図 | 地 | 句 | 景 |
|---|---|---|---|
| 其の一・荒波 | 最上川 | 五月雨を あつめて早し 最上川 | 五月雨を集めて水嵩を増し、激しく流れ下る大河 |
| 其の二・岩と蝉 | 立石寺(山寺) | 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 | 深山の静寂に、蝉の声のみが岩へ沁み入る |
| 其の三・菖蒲 | 安積(あさか)の沼辺 | ほととぎす 啼くや五尺の あやめ草 | 丈高きあやめ草の上を、時鳥の啼き渡る初夏 |
三つの語が、旅人を指してござつた
「奥羽」「皐月」「菅笠ひとつの旅人」── これすなはち、元禄の世に陸奥・出羽を巡りし俳諧師の道行きにて候。三つの図はいづれも、その途上に詠まれし名句の景なり。
三つの句、いづれも皐月の奥羽路に生まれし露の間の輝き。これを菅笠ひとつにて巡りし旅人こそ、松尾芭蕉その人にて候。
★ 解いた御仁への、二つの土産話
一、荒波の句は、はじめ「涼し」にござつた。
同行せし河合曾良の『俳諧書留』によれば、五月二十九日、大石田の高野一栄の句座に出されし発句は ── 「五月雨を集て涼し最上川」。「早し」ではなく「涼し」にござる。
主の宅にて詠むゆゑの、客の挨拶にござつた。夏なれど五月雨を集めて涼しげな川がここに見えてござる、心地よき宅にて過ごさせて頂き有難う存ずる ── さう申してゐる句にて候。
芭蕉が実際に最上川を下りしは、その後のことにござる。濁流に舟を浮かべて初めて、「涼し」は「早し」へ改まり申した。
すなはち、其の一の図に描かれし荒波は、初案の句にはまだ無かつた景にござる。
二、蝉の句もまた、直されてござる。
曾良の書留に遺る初案は ── 「山寺や岩にしみつく蝉の声」。上五も、動詞も違うてござる。
「しみつく」は、声が岩の表に貼りつく姿にて候。それが「しみ入る」と改まりし折、声は岩の外から内へ入り申した。
上五の「山寺や」が「閑さや」へ移りしことと併せて読めば、この一句は初めから静かであつたのではなく、直されて静かになつたと申せませう。
露の間の景と申せども、その景は筆の上で幾度か姿を変へてござる。
芭蕉とその門下が俳諧の芯に据ゑしは、「さび」の一語にて候。古び、枯れたるものにこそ宿る趣 ── 岩にしみ入る蝉の声もまた、その一つにござりましょう。
思へば、この帖の一作目「秋味中抜の膳」の答へもまた、その「さび」を内に含みし言の葉にてござつた。三つ目の謎にして、はからずも同じ根へ立ち返り申した。
露の間の景と申せども、三百年を越えてなほ我らの目に映り候。旅人が遺せしは、たつた十七文字にて候。
次なる謎、また改めて。
三つの絵が掲げてあります。
荒れ狂う川、苔むした岩、水辺の花。一つだけなら、どれもただの風景です。
でも、三つ揃えて並べてある。三つで一つの何かを指しているのでしょう。
御題
【作問修行】三句三図
私が奥羽を旅していた頃、五月の空の下で行き合った景色です。
逆巻く大河も、静寂の岩も、水辺を飛ぶ鳥も、旅の半ばに目にした露のような一瞬の輝きでした。
さて、菅笠ひとつで巡り、これらを句に遺した旅人は誰でしょうか。
絵をもう一度 ── 三図に込めた景
絵をもう一度。三つの図、それぞれに込めた景色です。
- 其の一・荒波の図 ── 五月雨で膨れあがった大河、小舟が一つ呑まれようとしています。
- 其の二・岩と蝉の図 ── 杉木立の奥、苔むした岩に蝉が一匹。あたりは森閑として声もありません。
- 其の三・菖蒲の図 ── 水辺に咲き乱れる花あやめ、空には初夏の鳥の影。
どれも、ある旅人が句に遺した一瞬の景色です。
答えを見る
答えは 松尾芭蕉(紀行『おくのほそ道』の旅)です。
| 図 | 地 | 句 | 景 |
|---|---|---|---|
| 其の一・荒波 | 最上川 | 五月雨を あつめて早し 最上川 | 五月雨を集めて水嵩を増し、激しく流れ下る大河 |
| 其の二・岩と蝉 | 立石寺(山寺) | 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 | 深山の静寂に、蝉の声だけが岩へ沁み入る |
| 其の三・菖蒲 | 安積(あさか)の沼辺 | ほととぎす 啼くや五尺の あやめ草 | 丈の高いあやめ草の上を、ほととぎすが啼き渡る初夏 |
三つの語が、旅人を指していた
「奥羽」「皐月」「菅笠ひとつの旅人」── これはつまり、元禄の世に陸奥・出羽を巡った俳諧師の道行きです。三つの図はどれも、その途上で詠まれた名句の景色でした。
三つの句は、いずれも五月の奥羽路に生まれた一瞬の輝き。これを菅笠ひとつで巡った旅人こそ、松尾芭蕉その人です。
★ 解いた方への、二つの土産話
一、荒波の句は、はじめ「涼し」でした。
同行した河合曾良の『俳諧書留』によると、五月二十九日、大石田の高野一栄の句座に出された発句は ── 「五月雨を集て涼し最上川」。「早し」ではなく「涼し」です。
主人の家で詠むための、客としての挨拶でした。夏なのに五月雨を集めて涼しげな川がここに見えています、居心地のよいお宅で過ごさせていただきありがとうございます ── そう言っている句なのです。
芭蕉が実際に最上川を下ったのは、その後のことでした。濁流に舟を浮かべてはじめて、「涼し」は「早し」に改まったわけです。
つまり、其の一の図に描かれた荒波は、初案の句にはまだ無かった景色ということになります。
二、蝉の句も、直されています。
曾良の書留に残る初案は ── 「山寺や岩にしみつく蝉の声」。上五も、動詞も違います。
「しみつく」は、声が岩の表面に貼りつく姿です。それが「しみ入る」に改まったとき、声は岩の外から内へ入りました。
上五の「山寺や」が「閑さや」に移ったことと併せて読むと、この句ははじめから静かだったのではなく、直されて静かになったと言えるかもしれません。
一瞬の景色といっても、その景色は筆の上で何度か姿を変えているのです。
芭蕉とその門下が俳諧の芯に据えたのは、「さび」の一語でした。古び、枯れたものにこそ宿る趣 ── 岩にしみ入る蝉の声もまた、その一つなのでしょう。
思えば、この帖の一作目「秋味中抜の膳」の答えもまた、その「さび」を内に含んだ言葉でした。三つ目の謎にして、はからずも同じ根へ立ち返ったことになります。
一瞬の景色とはいっても、三百年を越えて今なお私たちの目に映ります。旅人が遺したのは、たった十七文字でした。
次の謎は、また改めて。