難易度 ★★★★☆

三図誰そ彼 其の一


三図誰そ彼 其の一

人の名を当てさせる謎を作るとき、いちばん厄介なのは「決め手が強すぎる」ことにござる。

その御仁を語るに、誰もが真っ先に挙げる一品がある。それを出せば、知る者は一瞬で当て、知らぬ者は永遠に当たらぬ。問いが問いの体をなさぬ。

ゆえに此度は、決め手の弱い三つを選んでござる。一つでは足りず、二つでも迷い、三つ揃えて初めて一人に絞れる ── そういう組み方を試した一本にござる。

月に一度、人物を当てる謎を掲げる。「三図誰そ彼」、その一本目。

御題

【三図誰そ彼 其の一】

一、寒さ暑さを、目で見よと申す。 二、酒を供へれば、絵の顔が染まる。 三、刷り物を諸国へ飛ばし、見せ物の会を興す。

三つの図、いづれも同じ一人の手による。 誰そ彼。

図の一 ── 寒さ暑さを、目で見よと申す

畳の間に置かれた木枠の器械。硝子の管に朱の柱が立ち、傍らに和綴じの書と筆

図の二 ── 酒を供へれば、絵の顔が染まる

掛軸に描かれた束帯姿の天神。差し出された盃と徳利を前に、顔だけが赤く染まっている

図の三 ── 刷り物を諸国へ飛ばし、見せ物の会を興す

境内に並ぶ長机と天幕。薬草、鉱石、貝、角、硝子瓶に収められた品々を、老若男女が覗き込む賑わい

三図をつなぐ糸

三つはいずれも「作った物」にござる。されど、作った物の名を言い当てても答えには届きませぬ。

見るべきは、その三つが同じ一人の手から出ていること自体の奇妙さ

器械を組む者。仕掛け絵を描く者。人を集めて見せ物を興す者。この三つを兼ねる者が、江戸に何人おりましょうか。

答えを見る

答え ── 平賀源内

手がかりの読み
タルモメイトル(寒暖計)日本初の寒暖計と伝わる。「寒暖を数で示す」という発想そのものが、当時の日本になかった
御神酒天神十一歳の作と伝わる仕掛け掛軸。酒を供えると天神の顔が赤らむ
東都薬品会宝暦十二年(1762)、湯島天神前にて開催。物産の見せ物興行

なぜ三つ要ったか

一の図だけでは、蘭学者の誰かに散る。二の図だけでは、絵師か細工師に散る。三の図だけでは、興行師に散る。

三つを重ねたとき、器械・仕掛け・興行のいずれにも手を出した者という一点で、ようやく一人に絞れる。これが「決め手の弱い三つ」で組む狙いにござった。

なお、エレキテルと土用の鰻はあえて外してござる。いずれも決め手が強すぎて、出した途端に謎が終わるゆえ。火浣布・本草学・戯作は、其の二以降へ温存いたす。

句は絵の言い換えにあらず

三句目「刷り物を諸国へ飛ばし」──これは図の中にござらぬ。絵に描かれているのは会場の賑わいのみで、刷り物は写ってござらぬ。

これは手落ちではなく、この作の骨組みにござる。三図は手がかりの器、三句は答えへの道筋。一の図で寒暖計と分かっても、それだけでは人物に届かぬ。「目で見よと申す」──世に示した、という句があって初めて、物から人へ渡れる。


図の外の話

東都薬品会という催し

宝暦十二年、湯島天神前。集まった品は千三百余種。十八の国、二十五人が産物の取次所を務め、身分を問わず誰でも出品できた。日本の博覧会の創始と言われる催しにござる。

そして源内は、この会を告げる引札(ちらし)を刷り、諸国へ配った。宣伝によって人を集めるという発想が、ここにござる。

「引札」は二件ある

源内の引札と言うとき、じつは二つの別物が同じ名で語られてござる。

  • 東都薬品会の引札(1762)── 催しの告知
  • 歯磨き粉「嗽石香」の引札(1769)── 商品の宣伝文

後者ゆえに、源内は「日本初のコピーライター」と呼ばれることがござる。一つの語が二つの事を括っているゆえ、混ぜぬよう。

御神酒天神の仕掛け

顔の部分を透けるように仕立て、その裏で肌色の紙と赤い紙を滑らせる。酒を供える動作に合わせて紙を入れ替えれば、顔が赤らんで見える ── そういう作りにござる。平賀源内記念館に現存。

十一歳の作と伝わりますれば、後年の器械物より、こちらのほうが人となりをよく表しているやもしれませぬ。

名は一つにあらず

源内は書くものによって名を替えてござった。戯作を書くときは風来山人。そしてもう一つ、浄瑠璃を書くときの名がござる ── これは翌日のおまけにて問うてござれば、下に譲りまする。

「誰そ彼」という題を選んだのは、この御仁が生前から幾つもの名を使い分けていたゆえにござる。

おまけの御題

翌八月四日、引用にて今ひとつ掲げてござった。

【おまけ謎】

昨日の御仁、名を一つとは限らなんだ。

戯作を書くときは、風来山人。 浄瑠璃を書くときは ── 節分の夜の声を、四文字に詰めたる名。 何と申す。

四文字への詰め方

節分の夜に唱える声を、そのまま書き下してみられよ。句読点を除けば六文字にござる。

そこから落ちるものが、二つ。

答えを見る

答え ── 福内鬼外(ふくうちきがい)。浄瑠璃を書くときの名にござる。

「福は内、鬼は外」から助詞の「は」を二つ落とし、六文字を四文字に詰める。ただそれだけの造りにござるが、声に出したときに元の文句が耳に残るのが妙味にて、江戸の人が読めば一目で節分と分かる名にござった。

節分の声は、土地ごとに違う

ところで、この掛け声は日本中どこでも同じというわけではござらぬ。

  • 浅草寺(東京)── 「観音さまの前には鬼はいない」ゆえ「鬼は外」とは唱えず、「千秋万歳福は内」。なお、節分を江戸で大々的に行ったのは、この寺が最初と伝わる
  • 成田山新勝寺(千葉)── 「福は内」のみ。御本尊の不動明王の前では、鬼でさえもその大慈悲心に触れて心を入れかえてしまうゆえ
  • 群馬県藤岡市鬼石(おにし)── 「福は内、鬼も内」。地名の由来は、弘法大師に成敗された鬼が逃げしなに投げた石が落ちた土地、という伝説にござる。節分に追い出された全国の鬼を呼び込む「鬼恋節分祭」が今も続く
  • 大原神社(京都府福知山市)── 「鬼は内、福は外」 と、真っ向から逆。豆に打たれた鬼は本殿へ逃げ込み、神の力で改心して福の神となって現れる

鬼を追わぬ土地がこれだけあるとなれば、福内鬼外という名も、ただ言葉を詰めた洒落として味わうのが正しいのでござろう。内と外をひっくり返した皮肉、と読むのは深読みが過ぎまする。

そして源内が浄瑠璃を書いていた頃、江戸の節分といえば浅草寺の「千秋万歳福は内」── そこには初手から鬼がおらぬ。鬼を内に置く名を選んだこの御仁の耳に、その声はどう響いていたのでござろうか。


三つの図は、どれも「これぞ」という決め手にはなりませぬ。寒暖計を見ても、掛軸を見ても、賑わいを見ても、名は浮かんでこぬ。

されど三つ並べれば、その隙間に一人の姿が立ち上がる。人を思い出すというのは、案外そういうものかもしれませぬ ── 一つの偉業ではなく、噛み合わぬ幾つかの断片のほうに、その人らしさは宿る。

次なる謎、また改めて。

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