涼風の前の、三つの名
日の暮れ方、風がふつと止み申した。
西の空はなほ茜に燃えてござるに、東の一方だけが、いつの間にやら重く沈んでござる。雲が高う立ち上がり、その底が墨を含んだやうに暗い。
天秤棒を担いだ男が足を止め、打ち水の柄杓を持つた男は水のこぼれるのも構はず空を仰ぎ、もう一人も同じ方を見上げてござる。
まだ一滴も落ちてはをらぬ。されど町の者は皆、これから何が来るかを知つてござる。
その来るものを、古き人は幾つもの名で呼び申した。本日はそのうちの三つを、お目にかけまする。
御題
【作問修行】涼風の前の、三つの名
夏の夕暮れにござる。
空の一方が、暗うなつて参つた。銀竹。
神立。
肘笠。古き人はこれを、みな同じ一つのものと申した。
さて、何のことか。
三つは、同じことを三度申してはをらぬ
三つとも同じ一つのものを指す ── そこまでは御題が申してござる。
されど、同じことを三度言うてゐるのではござらぬ。三つはそれぞれ、別の方角からその一つを指してござる。
一つは、目に映る姿を言うてござる。
一つは、それがどこから来るかを言うてござる。
一つは、出会うた者が、どう振舞ふかを言うてござる。
字を分けて、それぞれが何を写した名かをお考へくだされ。
答えを見る
答へは 夕立 にござる。
| 名 | 読み | 何を言うてゐるか | 方角 |
|---|---|---|---|
| 銀竹 | ぎんちく | 雨脚を、銀の竹が並び立つさまに見立てた | 姿 |
| 神立 | かんだち | 神が立てる(鳴らす)ものの意 | 由来 |
| 肘笠 | ひじがさ | 笠を被る暇もなく、肘をかざして走る | 所作 |
三方から、一つを指す
同じ物に三つの名がつくとき、その三つは大抵、違ふところを見てござる。
銀竹と名づけた者は、空から地へ落ちる線を見てござつた。銀の竹が幾百と並び立つ ── 雨脚をこれほど涼しく言うた語も少なうござる。
神立と名づけた者は、音を聞いてござつた。にはかに轟くものを、人の業とは思はなんだ。「神が立てる」の一語に、畏れがそのまま残つてござる。
肘笠と名づけた者は、己の身を見てござつた。笠を取り出す間もなく、肘をかざして駆け出す ── その一瞬の姿が、そのまま名になり申した。
姿を見た人、音を聞いた人、走つた人。三人とも、同じ夕立を見上げてござつた。
「雨」の一字を落とした話 ── 作りの種明かし
拙者が初めに並べたのは、白雨・神立・肘笠雨の三つにござつた。
されど、これでは成り立ち申さぬ。「白雨」「肘笠雨」── 字の中に、答への半分が既に入つてござる。「雨」の一字を見た瞬間、あとは残り半分を探すだけの問ひに落ち申す。
そこで肘笠雨から「雨」を落とし、肘笠とした。辞書にも「肘笠雨の略」として単独で立つ語にござれば、勝手な省略ではござらぬ。姿の意はそのまま残り、雨の一字だけが消え申した。
白雨は退き、代はりに銀竹が入つた ── かうして三語とも、答への字を一つも持たぬ形に整うてござる。
別解のこと
にはか雨・驟雨・雷雨は、受け申す。いづれも「夏の夕暮れに、にはかに降る、あの一つ」を確かに指してござる。とりわけ雷雨は、神立が現に雷を指す語にござれば、これを退けるは酷と申すもの。
白雨(はくう)は、受け申さぬ。確かに夕立の別名にござれど、これは三語と同じ層の語 ── 四つ目の異称にござる。本問が訊ねてござるは「三つが指す一つのもの」にて、四つ目を並べても答へにはなり申さぬ。
されど関所は確かに越えてござる。白雨をご存じの御仁は、銀竹・神立・肘笠の三つが何を指すかも、既に見えてをられたはず。惜しうござつた。
なほ、雨とだけのお答へは受け申さぬ。三語が指してござるは夏の夕暮れににはかに降るあの一つにて、雨そのものではござらぬ。
肘笠雨の出典
肘笠雨の語は、『源氏物語』須磨の巻に見え申す。
千年の昔から、人は同じことをしてござつた。空が急に暗うなり、笠を取る間もなく、肘をかざして駆け出す ── その所作が名として残り、今なほ辞書に立つてござる。言葉とは、誰かの一瞬の身振りが化石になつたものやも知れませぬ。
そして、絵のこと
本問の絵には、一滴の雨も、一筋の稲光も描いてござらぬ。傘も笠も、肘をかざす者もをらぬ。三語のいづれも、絵からは一つも漏れてをらぬやう仕組んでござる。
なれど ── 絵そのものが、実は答へにござつた。
「夕立つ」とは、もともと夕方に風・波・雲が起こり立つことを申す古語にござる。あの高く立ち上がる入道雲、あれこそが「夕立つ」の姿。
雨の名としての「夕立」は、その動きの方から生まれた言葉にござつた。降る前の景色が、既に答への名を体してござつたという次第。
おまけ
翌る日、こんな問ひを添へてござる。
【おまけ謎】
昨日の三つの名、あれが過ぎた後のこと。
空が洗はれ、日の光が戻つて参つた。
西に日を負ひ、東の空を見やれば、そこに架かるものがござる。
さて、何にござるか。
日を背にする、といふことは
光の来る方でなく、光の去る方を見よと申してござる。
夕立の名残の水の粒が、東の空にはまだ幾つも浮いてござらう。その一粒一粒に日の光が入り、内で跳ね返つて、こちらへ戻つて参る。
その折、光は元の一色では戻らぬ ── さて、何が架かりまするか。
答えを見る
答へは 虹 にござる。
なにゆゑ「夕立の後」でなければならぬか
これは風流の取り合はせではござらぬ。理が通つてござる。
虹は、太陽と反対の方角、視線から四十二度ほどの角に架かり申す。ゆゑに太陽が低いときにしか現れ申さぬ。
夏至の頃の真昼、日は五十度を優に超えて高うござる。かういう刻は、たとひ雨が上がつても虹は地平の下に沈んでしまひ、見えぬ。
されば夏の虹の刻は、朝か、夕にござる。夕立が過ぎ、西に日が傾き、東の空に水気の残る ── この三つが揃ふ夕暮れこそ、虹の最も出やすい刻にござつた。
昨日の一問と本日の一問、同じ一日の、続きの刻にござる。
七つとも、五つとも
虹の色を七つと数へるは、ニュートンの分け方にござる。音階の七音になぞらへて七つとしたと伝はり申す。
されど国により時代により、五つとも、六つとも、三つとも数へ申した。虹の光は本来なめらかに移り変はるものにて、どこで区切るかは人の側の決め事にござる。
一つのものに幾つもの名がつくのと、同じ話にござるな。
一つのものに、三つの名。名の数だけ、それを見上げた目がござつた。
銀の竹と見た人、神の立てるものと聞いた人、肘をかざして駆けた人 ── 皆おなじ夕立の下にをりながら、皆ちがふものを見てござつた。
言葉とは、さういうものやも知れませぬ。
次なる謎、また改めて。
日が暮れかかる頃、風がふっと止みました。
西の空はまだ茜に燃えているのに、東の一方だけが、いつの間にか重く沈んでいます。雲が高く立ち上がり、その底が墨を含んだように暗い。
天秤棒を担いだ男が足を止め、打ち水の柄杓を持った男は水がこぼれるのも構わず空を仰ぎ、もう一人も同じ方を見上げています。
まだ一滴も落ちてはいません。けれども町の人は皆、これから何が来るかを知っています。
その来るものを、昔の人はいくつもの名で呼びました。今日はそのうちの三つを紹介します。
御題
【作問修行】涼風の前の、三つの名
夏の夕暮れです。
空の一方が、暗くなってきました。銀竹。
神立。
肘笠。昔の人はこれを、みな同じ一つのものと呼びました。
さて、何のことでしょうか。
三つは、同じことを三度言ってはいません
三つとも同じ一つのものを指す ── そこまでは御題が言っています。
けれども、同じことを三度言っているのではありません。 三つはそれぞれ、別の方角からその一つを指しています。
一つは、目に映る姿。
一つは、それがどこから来るか。
一つは、出会った人の、振る舞い。
字を分けて、それぞれが何を写した名かをお考えください。
答えを見る
答えは 夕立 です。
| 名 | 読み | 何を言っているか | 方角 |
|---|---|---|---|
| 銀竹 | ぎんちく | 雨脚を、銀の竹が並び立つさまに見立てた | 姿 |
| 神立 | かんだち | 神が立てる(鳴らす)ものの意 | 由来 |
| 肘笠 | ひじがさ | 笠をかぶる間もなく、肘をかざして走る | 所作 |
三方から、一つを指す
同じ物に三つの名がつくとき、その三つはたいてい、違うところを見ています。
銀竹と名づけた人は、空から地へ落ちる線を見ていました。銀の竹が幾百と並び立つ ── 雨脚をこれほど涼しく言った語も少ないでしょう。
神立と名づけた人は、音を聞いていました。にわかに轟くものを、人の仕業とは思わなかった。「神が立てる」の一語に、畏れがそのまま残っています。
肘笠と名づけた人は、自分の身を見ていました。笠を取り出す間もなく、肘をかざして駆け出す ── その一瞬の姿が、そのまま名になりました。
姿を見た人、音を聞いた人、走った人。三人とも、同じ夕立を見上げていました。
「雨」の一字を落とした話 ── 作りの種明かし
私が初めに並べたのは、白雨・神立・肘笠雨の三つでした。
けれども、これでは成り立ちません。「白雨」「肘笠雨」── 字の中に、答えの半分がすでに入っています。「雨」の一字を見た瞬間、あとは残り半分を探すだけの問いになってしまいます。
そこで肘笠雨から「雨」を落とし、肘笠としました。辞書にも「肘笠雨の略」として単独で立つ語ですから、勝手な省略ではありません。姿の意味はそのまま残り、雨の一字だけが消えました。
白雨は退き、代わりに銀竹が入りました ── こうして三語とも、答えの字を一つも持たない形に整いました。
別解のこと
にわか雨・驟雨・雷雨は、正解とします。いずれも「夏の夕方に、にわかに降る、あの一つ」を確かに指しています。とりわけ雷雨は、神立が現に雷を指す語ですから、これを退けるのは酷というものでしょう。
白雨(はくう)は、正解としません。確かに夕立の別名ですが、これは三語と同じ層の語 ── 四つ目の異称です。この問いが尋ねているのは「三つが指す一つのもの」ですから、四つ目を並べても答えにはなりません。
けれどもこの問いの難所は、確かに越えておられます。白雨をご存じの方には、銀竹・神立・肘笠の三つが何を指すかも、すでに見えていたはずです。惜しいところでした。
なお、雨とだけのお答えは、正解としません。三語が指しているのは夏の夕方に急に降るあの一つで、雨そのものではありません。
肘笠雨の出典
肘笠雨の語は、『源氏物語』須磨の巻に見えます。
千年の昔から、人は同じことをしていました。空が急に暗くなり、笠を取る間もなく、肘をかざして駆け出す ── その所作が名として残り、今も辞書に立っています。言葉とは、誰かの一瞬の身振りが化石になったものなのかもしれません。
そして、絵のこと
本問の絵には、一滴の雨も、一筋の稲光も描いていません。傘も笠も、肘をかざす人もいません。三語のいずれも、絵からは一つも漏れないように仕組んであります。
けれども ── 絵そのものが、実は答えでした。
「夕立つ」とは、もともと夕方に風・波・雲が起こり立つことを言う古語です。あの高く立ち上がる入道雲、あれこそが「夕立つ」の姿。
雨の名としての「夕立」は、その動きの方から生まれた言葉でした。降る前の景色が、すでに答えの名を体していたという次第です。
おまけ
翌日、こんな問いを添えました。
【おまけ謎】
昨日の三つの名、あれが過ぎた後のこと。
空が洗われ、日の光が戻ってきました。
西に日を背負い、東の空を見やれば、そこに架かるものがあります。
さて、何でしょうか。
日を背にする、ということは
光の来る方ではなく、光の去る方を見よ、と言っています。
夕立の名残の水の粒が、東の空にはまだいくつも浮いているでしょう。その一粒一粒に日の光が入り、内側で跳ね返って、こちらへ戻ってきます。
その時、光は元の一色では戻りません ── さて、何が架かるでしょうか。
答えを見る
答えは 虹 です。
なぜ「夕立の後」でなければならないか
これは風流の取り合わせではありません。理が通っています。
虹は、太陽と反対の方角、視線から四十二度ほどの角に架かります。ですから太陽が低いときにしか現れません。
夏至の頃の真昼、日は五十度を優に超えて高い。こういう時刻は、たとえ雨が上がっても虹は地平の下に沈んでしまい、見えません。
ですから夏の虹の時刻は、朝か、夕方です。夕立が過ぎ、西に日が傾き、東の空に水気が残る ── この三つが揃う夕暮れこそ、虹の最も出やすい時刻でした。
昨日の一問と今日の一問は、同じ一日の、続きの時刻です。
七つとも、五つとも
虹の色を七つと数えるのは、ニュートンの分け方です。音階の七音になぞらえて七つとしたと伝わります。
けれども国により時代により、五つとも、六つとも、三つとも数えました。虹の光は本来なめらかに移り変わるもので、どこで区切るかは人の側の決め事です。
一つのものにいくつもの名がつくのと、同じ話ですね。
一つのものに、三つの名。名の数だけ、それを見上げた目がありました。
銀の竹と見た人、神の立てるものと聞いた人、肘をかざして駆けた人 ── 皆おなじ夕立の下にいながら、皆ちがうものを見ていました。
言葉とは、そういうものなのかもしれません。
次の謎は、また改めて。