難易度 ★★★★☆

蘭学塾の書置き


現代語でも読めます

この作品は、現代語版作成中です。

長崎より江戸へ、蘭学の風吹き渡りし頃。とある塾の文机に、書置き一枚遺されてをり候。

阿蘭陀の言の葉を、三つ並べたる覚書。其れぞれの意を汲み取れば、四文字の和語に行き着くと申す。

されども不思議なるは ── 同じ四文字、かの『徒然草』に登場致せば、まるで違ふ顔をしてをるとか。

御題

【作問修行】蘭学塾の書置き

此の言葉、三つに分ければ

一、Kunnen(~できる)
二、Liefde(慈しむ)
三、Goed(よろしい)

合すれば「Schattig」、愛らしき四文字の言葉なり
されど『徒然草』にては、
似ても似つかぬ惨めな様に使われけり

其の名は何。

阿蘭陀語の読み解き

阿蘭陀語の意を、それぞれ漢字一字に置き換へて御覧候へ。

  • Kunnen(~できる) → 漢字一字
  • Liefde(慈しむ)  → 漢字一字
  • Goed(よろしい)  → 漢字一字

三字並べて読み下せば、聞き馴染みある四文字の言葉に相成り候。

答えを見る

答へは 「かわいい」 にて候。

阿蘭陀語意当て字
Kunnenできる、可能可
Liefde慈しむ、愛愛
Goedよろしい、良いい(「良い」の「い」)

三字を繋げば「可愛い」── すなはち「かわいい」と相成り候。

念のため Schattig とは、阿蘭陀語にて「愛らしい、可愛らしい」の意。答への裏付けとして添へた次第にて候。

『徒然草』との対比

されど、同じ「かはゆし」が古文の世界では全く違ふ顔を致す。

『徒然草』を始め中世の用例にては、「かはゆし」は「気の毒だ、いたはしい、見るに忍びない」の意。現代の「愛らしい」とは、寧ろ正反対と申してよろしからん。

「顔映ゆし(かほはゆし)」── 直視するに忍びぬ顔つき、即ち見るに堪へぬ憐れな様 ── が語源と申す説あり。「見ていられぬ」が「不憫だ」となり、やがて「愛おしい」へと転じ、いま我らが知る「可愛い」に至つたとの由。

意味の反転、誠に言葉の不思議にて候。

★ 解いた御仁への、二つの土産話

一、『徒然草』の「かはゆし」は、よろめく老法師に向けられた言葉にござる。

第百七十五段にござる。年老いて袈裟を掛けたる法師が、酒の席にてよろめいてゐる ── その姿を兼好は「いとかはゆし」と記してござる。

見るに忍びない、といふ意にて候。憐れみでも、嘲りでもなく、目を逸らしたくなる気持ちにござる。

いま同じ四文字を、我らは子犬や幼子に向けて申す。七百年を隔てて、言葉が真逆の席へ移つたわけにて候。

二、「かわいそう」のはうが、古い意を抱へたまま残つてござる。

「かわいい」と「かわいそう」── この二つ、もとは同じ一つの言葉にござる。

「かはゆし」は初め「恥づかしい」の意にて用ゐられ〔『今昔物語集』に「かははゆく思えて」の例あり〕、次に「気の毒だ、不憫だ」へ移り、室町の頃より「愛らしい」の意も帯び始め、形も「かはいい」へ転じてござる。

すなはち、意味が入れ替はつたのではござらぬ。途中で二股に分かれ、両方が生き残つたのにて候。「かわいそう」は、古い顔のはうを今も引き受けてゐる言葉にござる。

蘭学塾の文机で「可・愛・い」と当て字を戯れた者は、この四文字がさやうな来歴を負うてゐるとは、思ひも寄らなんだことにござりましょう。


書置きは此処までにて候。

阿蘭陀の言の葉に漢字を当てる戯れ、和漢蘭が一つの文机に並ぶ景色 ── 蘭学塾ならではの趣にて候はぬか。

そして同じ四文字が、時代を隔てて全く違ふ意を纏ふ。言の葉とは、かくも生き物にて候。

次なる謎、また改めて。

長崎から江戸へ、蘭学の風が吹き渡っていた頃。とある塾の文机に、書置きが一枚遺されていました。

オランダ語を三つ並べた覚書です。それぞれの意味を汲み取れば、四文字の和語に行き着くといいます。

けれど不思議なのは ── 同じ四文字が、あの『徒然草』に登場すると、まるで違う顔をしているということでした。

御題

【作問修行】蘭学塾の書置き

この言葉、三つに分ければ

一、Kunnen(~できる)
二、Liefde(慈しむ)
三、Goed(よろしい)

合わせれば「Schattig」、愛らしい四文字の言葉です
けれど『徒然草』では、
似ても似つかない惨めな様子に使われていました

その名は何でしょう。

オランダ語の読み解き

オランダ語の意味を、それぞれ漢字一字に置き換えてみてください。

  • Kunnen(~できる) → 漢字一字
  • Liefde(慈しむ)  → 漢字一字
  • Goed(よろしい)  → 漢字一字

三字並べて読み下せば、聞き馴染みのある四文字の言葉になります。

答えを見る

答えは 「かわいい」 です。

オランダ語意味当て字
Kunnenできる、可能可
Liefde慈しむ、愛愛
Goedよろしい、良いい(「良い」の「い」)

三字を繋げば「可愛い」── つまり「かわいい」になります。

念のため Schattig とは、オランダ語で「愛らしい、可愛らしい」の意味。答えの裏付けとして添えました。

『徒然草』との対比

けれど、同じ「かはゆし」が古文の世界では全く違う顔をします。

『徒然草』をはじめ中世の用例では、「かはゆし」は「気の毒だ、いたわしい、見るに忍びない」の意味。現代の「愛らしい」とは、むしろ正反対といっていいでしょう。

「顔映ゆし(かほはゆし)」── 直視するに忍びない顔つき、つまり見るに堪えない憐れな様子 ── が語源だという説があります。「見ていられない」が「不憫だ」となり、やがて「愛おしい」へと転じて、いま私たちが知る「可愛い」に至ったとのことです。

意味の反転、まことに言葉の不思議です。

★ 解いた方への、二つの土産話

一、『徒然草』の「かはゆし」は、よろめく老法師に向けられた言葉でした。

第百七十五段です。年老いて袈裟を掛けた法師が、酒の席でよろめいている ── その姿を兼好は「いとかはゆし」と記しています。

見るに忍びない、という意味です。憐れみでも、嘲りでもなく、目を逸らしたくなる気持ちでした。

いま同じ四文字を、私たちは子犬や幼子に向けて使います。七百年を隔てて、言葉が真逆の席へ移ったわけです。

二、「かわいそう」のほうが、古い意味を抱えたまま残っています。

「かわいい」と「かわいそう」── この二つ、もとは同じ一つの言葉です。

「かはゆし」ははじめ「恥ずかしい」の意味で用いられ〔『今昔物語集』に「かははゆく思えて」の例があります〕、次に「気の毒だ、不憫だ」へ移り、室町の頃から「愛らしい」の意味も帯びはじめ、形も「かはいい」へ転じました。

つまり、意味が入れ替わったのではありません。途中で二股に分かれ、両方が生き残ったのです。「かわいそう」は、古い顔のほうを今も引き受けている言葉ということになります。

蘭学塾の文机で「可・愛・い」と当て字を戯れた人は、この四文字がそんな来歴を負っているとは、思いも寄らなかったことでしょう。


書置きはここまでです。

オランダ語に漢字を当てる戯れ、和漢蘭が一つの文机に並ぶ景色 ── 蘭学塾ならではの趣ではないでしょうか。

そして同じ四文字が、時代を隔てて全く違う意味を纏う。言葉とは、これほどまでに生き物なのです。

次の謎は、また改めて。

現代語でも読めます

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