蘭学塾の書置き
長崎より江戸へ、蘭学の風吹き渡りし頃。とある塾の文机に、書置き一枚遺されてをり候。
阿蘭陀の言の葉を、三つ並べたる覚書。其れぞれの意を汲み取れば、四文字の和語に行き着くと申す。
されども不思議なるは ── 同じ四文字、かの『徒然草』に登場致せば、まるで違ふ顔をしてをるとか。
御題
【作問修行】蘭学塾の書置き
此の言葉、三つに分ければ
一、Kunnen(~できる)
二、Liefde(慈しむ)
三、Goed(よろしい)合すれば「Schattig」、愛らしき四文字の言葉なり
されど『徒然草』にては、
似ても似つかぬ惨めな様に使われけり其の名は何。
阿蘭陀語の読み解き
阿蘭陀語の意を、それぞれ漢字一字に置き換へて御覧候へ。
- Kunnen(~できる) → 漢字一字
- Liefde(慈しむ) → 漢字一字
- Goed(よろしい) → 漢字一字
三字並べて読み下せば、聞き馴染みある四文字の言葉に相成り候。
答えを見る
答へは 「かわいい」 にて候。
| 阿蘭陀語 | 意 | 当て字 |
|---|---|---|
| Kunnen | できる、可能 | 可 |
| Liefde | 慈しむ、愛 | 愛 |
| Goed | よろしい、良い | い(「良い」の「い」) |
三字を繋げば「可愛い」── すなはち「かわいい」と相成り候。
念のため Schattig とは、阿蘭陀語にて「愛らしい、可愛らしい」の意。答への裏付けとして添へた次第にて候。
『徒然草』との対比
されど、同じ「かはゆし」が古文の世界では全く違ふ顔を致す。
『徒然草』を始め中世の用例にては、「かはゆし」は「気の毒だ、いたはしい、見るに忍びない」の意。現代の「愛らしい」とは、寧ろ正反対と申してよろしからん。
「顔映ゆし(かほはゆし)」── 直視するに忍びぬ顔つき、即ち見るに堪へぬ憐れな様 ── が語源と申す説あり。「見ていられぬ」が「不憫だ」となり、やがて「愛おしい」へと転じ、いま我らが知る「可愛い」に至つたとの由。
意味の反転、誠に言葉の不思議にて候。
★ 解いた御仁への、二つの土産話
一、『徒然草』の「かはゆし」は、よろめく老法師に向けられた言葉にござる。
第百七十五段にござる。年老いて袈裟を掛けたる法師が、酒の席にてよろめいてゐる ── その姿を兼好は「いとかはゆし」と記してござる。
見るに忍びない、といふ意にて候。憐れみでも、嘲りでもなく、目を逸らしたくなる気持ちにござる。
いま同じ四文字を、我らは子犬や幼子に向けて申す。七百年を隔てて、言葉が真逆の席へ移つたわけにて候。
二、「かわいそう」のはうが、古い意を抱へたまま残つてござる。
「かわいい」と「かわいそう」── この二つ、もとは同じ一つの言葉にござる。
「かはゆし」は初め「恥づかしい」の意にて用ゐられ〔『今昔物語集』に「かははゆく思えて」の例あり〕、次に「気の毒だ、不憫だ」へ移り、室町の頃より「愛らしい」の意も帯び始め、形も「かはいい」へ転じてござる。
すなはち、意味が入れ替はつたのではござらぬ。途中で二股に分かれ、両方が生き残つたのにて候。「かわいそう」は、古い顔のはうを今も引き受けてゐる言葉にござる。
蘭学塾の文机で「可・愛・い」と当て字を戯れた者は、この四文字がさやうな来歴を負うてゐるとは、思ひも寄らなんだことにござりましょう。
書置きは此処までにて候。
阿蘭陀の言の葉に漢字を当てる戯れ、和漢蘭が一つの文机に並ぶ景色 ── 蘭学塾ならではの趣にて候はぬか。
そして同じ四文字が、時代を隔てて全く違ふ意を纏ふ。言の葉とは、かくも生き物にて候。
次なる謎、また改めて。
長崎から江戸へ、蘭学の風が吹き渡っていた頃。とある塾の文机に、書置きが一枚遺されていました。
オランダ語を三つ並べた覚書です。それぞれの意味を汲み取れば、四文字の和語に行き着くといいます。
けれど不思議なのは ── 同じ四文字が、あの『徒然草』に登場すると、まるで違う顔をしているということでした。
御題
【作問修行】蘭学塾の書置き
この言葉、三つに分ければ
一、Kunnen(~できる)
二、Liefde(慈しむ)
三、Goed(よろしい)合わせれば「Schattig」、愛らしい四文字の言葉です
けれど『徒然草』では、
似ても似つかない惨めな様子に使われていましたその名は何でしょう。
オランダ語の読み解き
オランダ語の意味を、それぞれ漢字一字に置き換えてみてください。
- Kunnen(~できる) → 漢字一字
- Liefde(慈しむ) → 漢字一字
- Goed(よろしい) → 漢字一字
三字並べて読み下せば、聞き馴染みのある四文字の言葉になります。
答えを見る
答えは 「かわいい」 です。
| オランダ語 | 意味 | 当て字 |
|---|---|---|
| Kunnen | できる、可能 | 可 |
| Liefde | 慈しむ、愛 | 愛 |
| Goed | よろしい、良い | い(「良い」の「い」) |
三字を繋げば「可愛い」── つまり「かわいい」になります。
念のため Schattig とは、オランダ語で「愛らしい、可愛らしい」の意味。答えの裏付けとして添えました。
『徒然草』との対比
けれど、同じ「かはゆし」が古文の世界では全く違う顔をします。
『徒然草』をはじめ中世の用例では、「かはゆし」は「気の毒だ、いたわしい、見るに忍びない」の意味。現代の「愛らしい」とは、むしろ正反対といっていいでしょう。
「顔映ゆし(かほはゆし)」── 直視するに忍びない顔つき、つまり見るに堪えない憐れな様子 ── が語源だという説があります。「見ていられない」が「不憫だ」となり、やがて「愛おしい」へと転じて、いま私たちが知る「可愛い」に至ったとのことです。
意味の反転、まことに言葉の不思議です。
★ 解いた方への、二つの土産話
一、『徒然草』の「かはゆし」は、よろめく老法師に向けられた言葉でした。
第百七十五段です。年老いて袈裟を掛けた法師が、酒の席でよろめいている ── その姿を兼好は「いとかはゆし」と記しています。
見るに忍びない、という意味です。憐れみでも、嘲りでもなく、目を逸らしたくなる気持ちでした。
いま同じ四文字を、私たちは子犬や幼子に向けて使います。七百年を隔てて、言葉が真逆の席へ移ったわけです。
二、「かわいそう」のほうが、古い意味を抱えたまま残っています。
「かわいい」と「かわいそう」── この二つ、もとは同じ一つの言葉です。
「かはゆし」ははじめ「恥ずかしい」の意味で用いられ〔『今昔物語集』に「かははゆく思えて」の例があります〕、次に「気の毒だ、不憫だ」へ移り、室町の頃から「愛らしい」の意味も帯びはじめ、形も「かはいい」へ転じました。
つまり、意味が入れ替わったのではありません。途中で二股に分かれ、両方が生き残ったのです。「かわいそう」は、古い顔のほうを今も引き受けている言葉ということになります。
蘭学塾の文机で「可・愛・い」と当て字を戯れた人は、この四文字がそんな来歴を負っているとは、思いも寄らなかったことでしょう。
書置きはここまでです。
オランダ語に漢字を当てる戯れ、和漢蘭が一つの文机に並ぶ景色 ── 蘭学塾ならではの趣ではないでしょうか。
そして同じ四文字が、時代を隔てて全く違う意味を纏う。言葉とは、これほどまでに生き物なのです。
次の謎は、また改めて。