日盛りの草の海
御題
外輪の内に、海なき海がござる。 息もつけぬ日ざかり、馬影のほかは白き光ばかり。
五つの句、それぞれの初めの一音を、 上より順にお拾ひあれ。
さて、この夏の景に、何が隠れてをるか。
拾ふは字にあらず、音にござる
短冊は五行に分かち書きしてござる。一行がそのまま一句にて、行の頭がすなはち句の頭。
一つ目を、こちらで拾うて差し上げまする ── 「迫る阿蘇」の頭は「せ」。
あと四つにござる。
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せみのこえ
迫る阿蘇 ── せ
峰のかるでら ── み
野の照りに ── の
木蔭に涼み ── こ
枝は日ぞ満つ ── え歌のどこにも「蝉」の字はござらぬ。「声」の字もござらぬ。真昼の草原に満ちてゐるはずのものを、歌は一言も申しませぬ。
言はずして、五つの句の頭に置いた ── これが折句にござる。
おまけ
昨日の一首、解かれた御仁へ今ひとつ。
仕掛けは頭のみにあらず、これを沓冠と申す。 五つの句、終はりの一音を上より順にお拾ひあれ。
現るる五文字は、大和にかかる古き枕詞。
頭の五文字と末の五文字、二つ並べて いかなる景が浮かびまするか。お聞かせ願ひたし。
その枕詞の、意を先に申さう
空より見て、あまねく満ちてゐる良き国 ── さう大和を讃へた言葉にござる。
『万葉集』の巻頭近くに見ゆる、たいそう古い枕詞。「そら」で始まりまする。
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そらにみつ
迫る阿蘇 ── そ
峰のかるでら ── ら
野の照りに ── に
木蔭に涼み ── み
枝は日ぞ満つ ── つ「そらにみつ」は大和にかかる枕詞。『万葉集』巻一・二十九番、柿本人麻呂の長歌に見ゆる形にござる。巻頭一番の歌に置かれた四音の「そらみつ」を、五音に延べたもの。
頭を拾へばせみのこえ、末を拾へばそらにみつ ── 口上に申した**沓冠(くつかぶり)**とは、この形にござる。冠が頭、沓が足元。一首に二つの言葉を仕込む技にて。
拾ひ物 ── 作者の知らぬところで、二つが結ばれてござった
Xの口上にて「二つ並べていかなる景が浮かびまするか」とお尋ね申したが ── 白状いたせば、これは仕組んでをらぬ縁にござる。
拾うた十文字を、そのまま並べてみられよ。
せみのこえ・そらにみつ ── 蝉の声、空に満つ。
頭と末が、一つの文意を成してござる。
沓冠には古き例がござる。兼好法師と頓阿の贈答歌 ── 頭を拾へば「よねたまへ(米給へ)」、末を拾へば「ぜにもほし(銭も欲し)」。二つの言葉が一つの用向きを述べる、あの構造にござる。
さらに申せば、歌の内には「枝は日ぞ満つ」とあり、歌の外には「空に満つ」がある。「満つ」が二度、内と外で呼応してござる。
いづれも狙うて置いたものにあらず。十文字を選んだ後で、並べてみて初めて気づいた次第にござる。
蘊蓄四題
一、沓冠は、順に拾ふか逆に拾ふか
頓阿の古例では、末の五音は下から上へ逆に拾ひまする。本作は上から順に拾ふ形を採り申した。
逆読みは関所がひとつ増ゑまする ── 「末を拾ふ」に加へて「順を返す」の一手。冠と沓で拾ふ向きを揃へた方が、規則として素直に伝はると見た次第にござる。
二、濁点は、融通してよい
本作の拾ひ字に濁音は掛かり申さなんだが、もし掛かってをっても差し支へはござらぬ。
『俊頼髄脳』には、頭を拾へば「ものずこじ」となるところを「ものすこし」と読ませる例が載ってござる。清濁は、折句においては融通する ── 千年前からの取り決めにござる。
三、「かるでら」を平仮名で書いた理由
カルデラは外来の語にござる。片仮名で「カルデラ」と書けば、拾ひ字の一文字だけが片仮名になり申す。
されど江戸の綴り方を思へば ── かるた、てんぷら、かすてら。外来の語を平仮名で書くは、むしろ古式にござる。 一首の中で文字の格を揃へるため、平仮名を選び申した。
四、草千里の景
歌に詠んだは阿蘇の草千里ヶ浜。中岳の西、烏帽子岳の北に開けた草原にござる。
手前に木蔭、中景に照る草原、遠景に外輪の稜線 ── 絵はこの三層で組んでござる。真昼の日盛りに、馬が点のやうに散ってをりまする。
なほ「蝉の命は七日」と申しますが、これは俗説と言ひ習はされてござる。地上に出てのちも、種によりては数週を生きるとの由。
一首の中に、蝉も、声も、空も書かず。 されど五つの句の端々に、真昼の草原の音は、ちゃんと満ちてござった。