異国よりの一鉢
縁側の板の間に、素焼きの鉢が一つ置かれてござる。
鉢の内に一株。葉は深く切れ込み、茎の先には黄の花が幾つか開いてござる。枝には赤い実が六つ、いづれも下を向いて垂れてござる。
障子は開け放たれ、外は明るうござる。
実は熟れきつて、いつでも捥げさうにござる。
されどこの家の者は、捥ぎ申さぬ。
御題
【作問修行】異国よりの一鉢
江戸の頃、この実は膳に上り申さなんだ。
眺めるためだけに、育てられてござつた。
今は、さうではござらぬ。
さて、何にござるか。
鉢の中に在り、膳の上に無かつた
赤いのは、花ではござらぬ。実にござる。
その色を愛でるためだけに、庭先へ置かれてござつた。
答えを見る
答へは トマト にござる。
江戸の人は、これを何と呼んだか
一つの名では呼ばれてをりませなんだ。
| 呼び名 | どこを見た名か |
|---|---|
| 唐柿(とうがき) | 異国より来た、柿に似たもの |
| 唐なすび | 異国より来た、茄子の仲間 |
| 珊瑚茄 | 珊瑚のごとく赤い、茄子の仲間 |
二つは「唐」を負ひ、一つは南の海の色を負うてござる。いづれも「ここのものではない」と申してござる。
本作の題を「異国よりの一鉢」と致したは、この名残りに寄せてのことにござつた。題そのものが、答へ合はせの入口になつてをり申す。
なぜ、膳に上らなんだか
言ひ伝へによれば、眺めるため、あるいは薬として育てられてゐたと推測されてござる。
赤くて丸くて、葉の緑によく映える ── 鉢に植ゑて縁側へ置けば、それだけで景になり申す。食ふものとしてではなく、見るものとして渡つて来たわけにござる。
★ここを「推測」と書いたは、公の機関の言ひ方に倣うてのことにござる。この一鉢が何のために置かれてゐたか、確たる書付は残つてをりませぬ。謎の口上では「眺めるためだけに」と言ひ切り申したが、実のところは一段幅がござる。
この一問の、まことの関所
別解はござりませぬ。赤い実、鉢植ゑ、江戸、膳に上らぬ ── この四つが揃へば、落ちる先は一つきりにござる。
ゆゑに本作の関所は「これは何か」ではござらぬ。「トマトが江戸に在つた」と、己が受け入れられるかの一事にござる。
トマトは畑のもの、夏のもの、切つて塩を振るもの ── さう思うてをれば、鉢と縁側の景から遠ざかり申す。知らぬことに躓くのではなく、知つてゐることに躓く。さういふ一問にござつた。
おまけ
翌る日、こんな問ひを添へてござる。
【おまけ謎】
昨日の一鉢、今ひとつ。
明治の世、あの実は一度膳へ上らうとして、しくじり申した。
青臭い、酸つぱいと嫌はれてござる。
それが今では、日ごと膳に載つてをる。
人の舌が慣れたのではござらぬ。さて、何が変はり申したか。
動いたのは、食ふ側ではござらぬ
嫌はれたは、青臭さと酸つぱさにござる。
ならば、その二つが薄いものが現れればよろしい ── どこから現れ申すか。
答えを見る
答へは 品種が変はつた にござる。
明治に入り、トマトは西洋野菜として改めて渡つて参り申した。今度は食ふものとして。ところが、受け申さなんだ。当時の品種は青臭さと酸味が強く、日々の膳には遠うござつた。
流れが変はり申したは昭和の初めにござる。桃色系のポンテローザといふ品種が入り、これが歓迎され申した。青臭さが薄く、色も柔らかい。人の舌が折れたのではなく、実の側が変はつて歩み寄つたわけにござる。
受ける答へ、受けぬ答へ
品種が変わったこと・品種改良・トマトの種類 ── いづれも受け申す。同じ一事を指してござる。
栽培方法・流通技術は、受け申さぬ。惜しくはござるが、これらは実そのものを変へませぬ。育て方が良くなつても、運びが速くなつても、青臭い実は青臭いままにござる。口上の「人の舌が慣れたのではござらぬ」の一句は、「では、何が動いたのか」を実の側へ向けるための錠にござつた。
★ついでに一つ。今の世で最も名の通つたトマトの品種は桃太郎にござるが、これは昭和五十年代の生まれにて、右の話より半世紀ほど後になり申す。
昨日の一問と、対をなしてござる
昨日問うたは「扱ひが変はつた」にござつた。眺めるものから、食ふものへ。
本日問うたは「物そのものが変はつてゐた」にござる。
同じ名で呼ばれてはをりまするが、江戸の鉢に垂れてゐた実と、今日の膳に載る実は、厳密には同じものではござらぬ。扱ひが変はつたのではなく、扱へるものに変はつた ── かう申した方が近うござる。
異国より渡り来て、二百余年ものあひだ、ただ眺められてござつた。
膳へ上らうとして一度しくじり、姿を変へて、ようやく日々の卓に載り申した。
口上の「今は、さうではござらぬ」の一句 ── その七文字の裏に、これだけの年月が畳まれてござる。
縁側の鉢を通り過ぎた江戸の者は、この赤い実がいづれ皆の膳に載るとは、思うてもをりますまい。
次なる謎、また改めて。
縁側の板の間に、素焼きの鉢が一つ置かれています。
鉢の中に一株。葉は深く切れ込み、茎の先には黄色い花がいくつか開いています。枝には赤い実が六つ、どれも下を向いて垂れています。
障子は開け放たれ、外は明るい。
実は熟れきっていて、いつでも摘めそうです。
けれどもこの家の人は、摘みません。
御題
【作問修行】異国よりの一鉢
江戸時代、この実は食卓に上りませんでした。
眺めるためだけに、育てられていたのです。
今は、そうではありません。
さて、これは何でしょう。
鉢の中にあって、食卓の上になかった
赤いのは、花ではありません。実です。
その色を愛でるためだけに、庭先へ置かれていました。
答えを見る
答えは トマト です。
江戸の人は、これを何と呼んだか
一つの名前では呼ばれていませんでした。
| 呼び名 | どこを見た名前か |
|---|---|
| 唐柿(とうがき) | 異国から来た、柿に似たもの |
| 唐なすび | 異国から来た、茄子の仲間 |
| 珊瑚茄 | 珊瑚のように赤い、茄子の仲間 |
二つは「唐」を背負い、一つは南の海の色を背負っています。どれも「ここのものではない」と言っています。
この作品の題を「異国よりの一鉢」としたのは、この名残りに寄せてのことでした。題そのものが、答え合わせの入口になっています。
なぜ、食卓に上らなかったのか
言い伝えによれば、眺めるため、あるいは薬として育てられていたと推測されています。
赤くて丸くて、葉の緑によく映える ── 鉢に植えて縁側へ置けば、それだけで景色になります。食べるものとしてではなく、見るものとして渡って来たわけです。
★ここを「推測」と書いたのは、公的機関の言い方に倣ってのことです。この一鉢が何のために置かれていたのか、確かな記録は残っていません。問題文では「眺めるためだけに」と言い切りましたが、実のところは少し幅があります。
この問題の、本当の関所
別解はありません。赤い実、鉢植え、江戸、食卓に上らない ── この四つが揃えば、落ちる先は一つきりです。
ですからこの作品の関所は「これは何か」ではありません。「トマトが江戸にあった」と、自分が受け入れられるかの一点です。
トマトは畑のもの、夏のもの、切って塩を振るもの ── そう思っていると、鉢と縁側の景色から遠ざかります。知らないことにつまずくのではなく、知っていることにつまずく。そういう問題でした。
おまけ
翌日、こんな問いを添えました。
【おまけ謎】
昨日の一鉢、もう一つ。
明治時代、あの実は一度食卓へ上ろうとして、失敗しました。
青臭い、酸っぱいと嫌われたのです。
それが今では、毎日のように食卓に載っています。
人の舌が慣れたのではありません。さて、何が変わったのでしょう。
動いたのは、食べる側ではありません
嫌われたのは、青臭さと酸っぱさでした。
なら、その二つが薄いものが現れればいい ── どこから現れるでしょうか。
答えを見る
答えは 品種が変わった です。
明治に入って、トマトは西洋野菜として改めて渡って来ました。今度は食べるものとして。ところが、受け入れられませんでした。当時の品種は青臭さと酸味が強く、日々の食卓には遠かったのです。
流れが変わったのは昭和の初めでした。桃色系のポンテローザという品種が入り、これが歓迎されます。青臭さが薄く、色も柔らかい。人の舌が折れたのではなく、実の側が変わって歩み寄ったわけです。
正解とする答え、しない答え
品種が変わったこと・品種改良・トマトの種類 ── どれも正解とします。同じことを指しています。
栽培方法・流通技術は、正解としません。惜しいのですが、これらは実そのものを変えません。育て方が良くなっても、運搬が速くなっても、青臭い実は青臭いままです。問題文の「人の舌が慣れたのではありません」という一言は、「では、何が動いたのか」を実の側へ向けるための鍵でした。
★ついでに一つ。今いちばん名の通ったトマトの品種は桃太郎ですが、これは昭和五十年代の生まれで、右の話より半世紀ほど後になります。
昨日の問題と、対になっています
昨日問うたのは「扱いが変わった」でした。眺めるものから、食べるものへ。
今日問うたのは「物そのものが変わっていた」です。
同じ名前で呼ばれてはいますが、江戸の鉢に垂れていた実と、今日の食卓に載る実は、厳密には同じものではありません。扱いが変わったのではなく、扱えるものに変わった ── そう言ったほうが近いはずです。
異国から渡って来て、二百余年のあいだ、ただ眺められていました。
食卓へ上ろうとして一度失敗し、姿を変えて、ようやく日々の食卓に載りました。
問題文の「今は、そうではありません」という一言 ── その裏に、これだけの年月が畳まれています。
縁側の鉢を通り過ぎた江戸の人は、この赤い実がいずれみんなの食卓に載るとは、思ってもいなかったでしょう。
次の謎は、また改めて。